▼松田まどか 等身大の12歳 ▼
商業的サービス精神の排除された、それはそれで心地の良い無愛想な暗闇を四角い光が切り開いて映画『NAGISA』のゼロ号試写が始まった。商業映画館ではないその空間(東映化工試写室)に居座って、光と影の物語を見つめる多くの目は純粋な鑑賞者たらんとしながら、その実純粋ではいられない、いわゆるカンケイシャの面々である。オトナの人々である。その最前列に、オトナたちと肩を並べた少女の影があった。 少女の肩は、気取らず、気圧されず、スクリーンの中のナギサを見つめていた。あっけらかんと笑い、ふくれっ面になり、泣く。ちょっとずるいナギサ、走るナギサ、泳ぐナギサ。初めて感じる恋心。スクリーンの中のナギサは、真実、ピュアであった。
やがて、試写室の暗闇はオトナたちに物語の終わりを告げ、光を閉ざすことを止め、ある感慨を残しながらも個人個人に帰ることを促す。 「わあ、恥ずかしかった」それが『NAGISA』を観終わったナギサならぬ、まどかの第一声であった。その声を聞いたオトナたちは誰もが口元を思わず弛めた。オトナたちがまどかをナギサのイメージから離して考えるにはまだ時間が足りなかったのである。 「でもちょっと嬉しかった」等身大の12歳は自らが試写室の暗闇を切り開いたかのように明るく髪を掻き上げた。 松田まどかははち切れそうな「生」をオトナたちに提供してくれた。今時の、という表現には当てはまらない、恐らく、どの子でもそうなのだろうが、生きるエネルギーを持っている。松田まどかはある種のエネルギーを惜しげもなくまわりに発散させている、女優であった。 それを素直に受け取れるかどうかは受け取る側の問題となるのだろう。
地元のバレーボール・クラブに所属し、アタッカーとして活躍しているらしいまどかは、中学進学を目前にして、期待と不安に胸を膨らませている少女である。ごく当たり前でありながら、何かオトナを弛緩させてしまうような、弱さを見せながら突っ張っているような、そんな空気を持っていた。 魅力的である人間というのは、いつの時代でもそうだったし、これからもそれは変わることはないのだと思うが、何事にも真摯に向き合って生きている。第一、アイデンティティの確立された小学生など気持ちが悪い。胸を締め付けられる思いもナシに、オトナになったふりを要求しているのは、一体、誰なのだろう。 まどかは春になったら、部活動でバレーボールを続けるか、それとも吹奏楽部にはいるか迷っているらしい。スクリーンに映った自分を観て「うひゃひゃ」と笑い「恥ずかしい」と表現し、「嬉しい」とちょっと誇らしげで、中学生活に期待と不安を感じている。その気持をまわりに分からせる事が出来る。そんな女の子が女優・松田まどかである。否応なしに迫ってくる「オジュケン」にも「うひゃひゃ」の笑顔で立ち向かっていって欲しい。 話し終わった後「日本の将来も、そんなに捨てたモンじゃない」と思わせてもらった。