▼社会科▼ [1960年代 駄菓子屋という学校] なぎさの幼なじみで理髪店の娘・典子は、学校が終わるといつも駄菓子屋にまっしぐら。いつだったか、なぎさと浜で遊ぶ約束をすっぽかした理由が、駄菓子の新製品の入荷の日。「当てモノ」にハマったあげく、お菓子を食べすぎて体調をくずしちゃったからというからそうとうな駄菓子狂。 だが、典子みたいな駄菓子フリークは当時、全国いたる所で見かけられた。まだ塾通いや習い事に行く子なんか珍しかった時代である。 1960年代は駄菓子屋の全盛期。いつもお腹をすかせている子供達にとって、そこは貴重な「エネルギー」の補給場所であり、漫画本を取り替えっこしたりする社交場であった。夕暮れ時までたむろしたり、また遊びの集合場所にもなっていた。駄菓子屋は様々な年齢の子供達が交流する、まさに子供社会の玄関口と言えた。 子供は、駄菓子屋で初めて一人前(?)の客として扱われ、商品選択の決断力を養い、がまんや計算を覚え、「当てモノ」というささやかなギャンブルで幸福と失望のひとときを過ごした。「万引き」という犯罪でこっぴどく叱られ、世の中の仕組みや倫理を身につけさせられることも…。駄菓子屋は学校じゃ教えてくれないことを学ぶ、もう一つの学校だったのだ!
色とりどりのパッケージの品数の中から、なぎさと典子が特にハマった駄菓子の逸品とは…!? ●フエラムネ…吹くとピーピー音が出る穴あきラムネ菓子。大手ガムメーカー、ハリス(現在はカネボウに吸収)の子会社・コリスのロングセラー。先に販売されていた「フエガム」の技術を応用して開発された。遊んで食べられるというコンセプトが子供に受け、国内だけでなく世界各地にも輸出された。 ●バチバチキャンデー…口の中でパチパチ弾ける小粒の清涼菓子。ソーダ味やらコーラ味など色んな種類あり。 ●黒棒…黒砂糖、小麦粉、玉子を練り合わせて焼き上げ、黒ミツを塗って乾燥させた菓子。クジが入っていて、当たると大判の黒棒がもらえる「大当て」があった。スカを引いてもつい次の夢に賭けて、また買ってしまう(典子もこれにハマッた)。賞品の形状がどぶ板に似ているため、駄菓子屋では「どぶ板」とも呼ばれた。 その他にも、「ソーダラップ」「渡辺のジュースの素」など粉末飲料をそのままナメたり、お腹をすかせた子供は「丸美屋のふりかけ」をそのまま食べたりした。 駄菓子以外では、大手森永製菓が60年にディズニー・キャラメルを発売した頃から、テレビの普及と共に人気アニメのキャラクターが菓子製品に使われ始めた。各製菓会社は競って自社製品にキャラクター景品を付けたので、子供達はシールやワッペンなどのオマケ欲しさにお菓子屋に通った。オマケのコレクションが子供にとっての(特に男の子の)ステイタスであるのは、今も昔も変わらない。 当時の人気は、「鉄腕アトム」(明治製菓)と「鉄人28号」(江崎グリコ)の2大キャラクターだった。『NAGISA』の原作本で弟・キヨカズ(映画には登場せず)が見ていたTVアニメ「8(エイト)マン」がそれに続いた。ちなみに「8マン」のスポンサーは「ふりかけ」の丸美屋だった。
▼参考サイト・リンク▼ 郷愁を誘う駄菓子に興味のある人は… ▼ B味駄菓子ノ館 懐かしい駄菓子をジャンル別に紹介。 ▼ お菓子タワー 日本のお菓子情報を発信するサイト。
60年〜80年代の子供の頃の遊びに興味のある人は… ▼ アナクロゲーム大辞典 遊びのルールを収集したノスタルジー・サイト。