小沼勝監督『NAGISA-なぎさ-』を観て
四方田 犬彦

 戦後の日本映画史にあって、小樽は3人の重要な映画人を輩出してきた。水の江瀧子と小林正樹、それに小沼勝である。
 水の江瀧子と小林正樹は50年代から60年代にかけて、日本映画に対照的な関わり方をした。前者は日活アクションの制作者として石原裕次郎を育てあげ、高度成長にさしかかろうとしていた日本の若い観客たちに、夢と自意識、野望、そして挫折の甘美さを語り続けた。後者は独立プロに拠って、戦後の日本社会がともすれば隠蔽し排除しようとしてきた戦争の歴史的記憶に拘り続けた。小林の作風をひとことで表現するには、「ハン(※恨)」という言葉がふさわしい。それは、はたされなかった望みの高さを示す朝鮮語である。

 小沼勝は70年代から80年代にかけて、日活のロマンポルノ路線を文字通り支えてきた監督である。『古都曼陀羅』から『奴隷契約書』まで、もっぱらエロティシズムのもつ暗黒面を見つめ、17年間に47本のフィルムを世に問うてきた。その作風は繊細にしてときにユーモラスな遊びに満ちていて、映画マニアのカルト的情熱の対象となった。現に小沼の助監督を務め、のちに『リング』を撮ることになった中田秀夫は、今年になって彼をめぐる優れたドキュメンタリー作品を撮っている。もっとも昭和の年号が終焉を迎えた年に日活は制作を中止し、小沼が劇場用映画を撮り続ける道は無残にも絶たれた。50歳を迎えた直後で、いよいよ自分の築き上げた美学的世界の統合に向おうとしていた矢先であっただけにこれはひどく残念なことだと思った記憶が、わたしにはあった。

 その小沼が、このたび公開された『NAGISA-なぎさ-』によって、12年ぶりに劇場のスクリーンに戻ってきた。それも12歳の少女を描いた青春映画で。となれば期待しない方が無理というものだろう。わたしは小樽のプレミアシネマで、公開初日の第1回上映でそれを観ることに決めた。結論からいうと、素晴らしい作品だった。単に過ぎ去った時間を愛惜するだけに止まらず、未来をはっきりと目指し、含羞と叙情を忘れないでいる。わたしにはこのフィルムのなかで、監督が自分を育んできた60年代の日活青春映画を前に、その後に続いてきた者として、愛情のこもった継承の意思表明を行なっているように感じられたからである。

 『NAGISA』は江ノ島に住む少女の、ひと夏の物語である。海水浴場にザ・ピーナッツの『恋のバカンス』が流れているのだから、舞台は60年代の中頃だろう。主人公のなぎさは自分専用のポータブル・レコードプレーヤー(というものがあった)が欲しくて、親戚の海の家でアルバイトをすることになる。彼女は「不良」の従姉に影響されて、こっそりと美容院で髪にパーマをかけ、夜の浜辺でゴーゴーダンスに踊り狂ってみたり、冒険を試みる。かと思うとバーグマンの映画を観て、キスの仕方に心ときめかせ、知り合いになった別荘の少年に水泳を教えながら、彼に接吻する。やがて夏が終わる。不良たちは引上げ、少年は事故で死んでしまう。少女は憧れのプレーヤーを手にすることができた。彼女はなにかを喪失し、その代わりになにかを現実に獲得して、人生の次の段階へ進むことができたのだ。

 小沼勝は用意周到な監督である。冒頭のわずか3分か4分で、主人公の状況設定をたちどころに説明し、彼女の目標であるプレーヤーをきちんと提示している。帽子と髪形にはじまって、タオルを肩にかけるという、ほんのささいなしぐさまで、彼女が周囲の人物と織りなす関係が巧みに視覚化されてゆく。あるときこのフィルムはキューバ映画のような強い陶酔感を帯び、別のあるときには『狂った果実』から『八月の濡れた砂』に及ぶ、日活青春映画の系譜に連なるような物語運びとなる。湘南の不良を描くというのはもとより日活の伝統なのであり、小沼勝はその正統性を12歳の少女に託したのだ。日活の教えとは何か。それは、人生は社会階層や立場の違いによってさまざまな希望と屈辱に満ちているが、それでも無数の偶然の出会いからなり、それゆえに美しいのだというメッセージである。
 困難な状況のなかで日本映画がもう一度、復活の兆を見せていることは、すでに国際的にも認知されている。小沼勝の回帰はそのなかにあって、10人の新人監督が海外の映画祭で受賞するに匹敵するほどの痛快事である。彼がさらに次回作に取りかかれることを祈りたい。
(よもた いぬひこ=明治学院大教授・映画史)≫profile
■北海道新聞2000年6月26日付夕刊に掲載
■『アジアのなかの日本映画』(岩波書店)の「V1990年代の日本映画」に「小沼勝の復活−『NAGISA』」として収録 ≫more

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