第41回ズリーン国際映画祭

 ◆東欧見聞録◆ チェコふんじゃった【2】                                by 半沢 浩
ドブリーデン! 日本カラ来マシタ
 映画祭事務局は、ベルケ・キノから歩いて5分のトーマス・バチャ大学にあった。
トーマス・バチャ」とは、この町の靴を世界的に有名にした靴会社の社長だった人の名前だ。彼がこの大学を作り、チェコ中から学生が集まって来ているらしい。
 日本へ連絡をくれていたクリスチーナにも会えると思っていたが、忙しくて不在だった。事務局ではデジタル写真を撮り、アッという間に、名札を作ってくれた。袋にたっぷりの映画祭の資料をもらい、何人かに挨拶した。しかし、それぞれが名刺を出さない。せっかく英字版の名刺を作ったのに、こちらから渡すのみ。そういう習慣がないのか、あるいは商売的なことを避けているのか。
 ようやくベルケ・キノでの上映だ。キャパ1,000人だというので、観客数は100人から200人がいいとこだろうと3人で話していた。ところが、入口がやけに混んでいて、これはひょっとするとと思って、会場を覗いてみてビックリ! だだっ広い場内の8〜9割が子供たちで埋まっている。気軽に来たつもりだったが一瞬にして、緊張が走る。

 控室に案内されて、司会者と責任者らしき人と打ち合わせ。私が日本語で挨拶し、高木が英語でマルチニにその中身を話し、マルチニがチェコ語で観客に話すことになる。まるで辺境の地から来た人間だ。
 映画界に入って4半世紀、舞台で挨拶したことなどなかったのが、あろうことか海外の映画祭でやることになるとは…面はゆいような気持ち。元々、人前で話すことが苦手なので、機会があっても避けて来た。地味な性格が会社の体質にも表れていると思う(よけいなこと言うな!)。しかし、場内のピーチクパーチクの雑然たる雰囲気は、逆に活気を感じる。

 公式パンフレットの『NAGISA』紹介
  よく見ると松田まどかの名前が製作にも!(笑)
 開始時間直前に、会いたかったクリスチーナが控室に現れた。赤髪で30代、いかにもやり手そうな、ちょっとキアヌ・リーブス系の顔立ちで、他のチェコ人とは人種が違っていそうな雰囲気。彼女とこの映画祭で初めて名刺を交換した。
 名刺の肩書は「プログラム・アシスタント」となっていた。忙しいのですぐ戻らねばと、落ち着かない彼女にお土産を渡した。成田空港で買った、浮世絵が描かれたマウスパッドだ。いかにも外人好みしそうなヤツ。彼女は嬉しさを表した。しかし、その場には、司会者の他数人の関係者がおり、何かクリスチーナだけに渡したことが、ちょっと気まずく思えてしまった。招待の労をとってくれたお礼にプレゼント…が妙に重いものに感じてしまう自分。

 この映画祭は、子供向け映画祭としては最も古く(1961年〜)、映画人を育て、チェコでもいい映画を作っていきたいという主旨で、商売は二の次として開催されてるという。上映スケジュール表が手元にないので、映画祭の全体像がつかめなかった(渡された資料には入っていなかった)。恥ずかしい話だが、『NAGISA』がエントリーされたコンペは、単に子供映画部門だと思っていた。ところがコンペは次の4部門に分かれていたのだった。
 1.12才までの子供のための映画(Children) ――8作品
 2.13才〜18才までの少年少女のための映画(Youth) ――8作品
 3.子供と少年少女のためのアニメ(Animation) ――55作品
 4.ヴィシェグラード諸国の映画――8作品
  (※Visegrad Countriesポーランドハンガリーチェコ共和国スロバキア
 このコンペの他にかなりの部門があり、全部で数百本の参加を数える作品を上映する大きな映画祭だ。期間は5月27日から6月2日まで。当然、『NAGISA』はChildrenだとばかり思っていたが、Youthだった。下調べもなしに来てしまった。公式サイトををじっくり読めば分かってたハズ…。ちょっと恥ずかしい。しかし今は、資料を読んでいる時間はない。
チャイムが鳴り、司会者が舞台に上った。舞台の袖で出番を待つ気持が落ち着かない。
「遠い遠い国からやって来た2人を紹介します――」とでも言ってるようだ。客の反応が、期待のどよめきに聞こえる。
 背中を押されて、出て行った。思わず、客席に手を上げて小走りに(若々しく見えるように)舞台に上がった。高木とマルチニが続いた。ウワーッという歓声と拍手が館内に響いた。何だかすごい晴れやかな気持ちになり、来てよかったと心から思った。が、マイクを渡されて挨拶をする段になってオヤッと思える反応になった。
 定番のように、ガイドブックで覚えた唯一のチェコ語「ドブリーデン」(こんにちは)とまずは挨拶。ちょっと笑いが出、順調な滑り出しに思えた。が、続いて「こんにちは、招待していただいてありがとうございます」と日本語で喋ったとたん、館がズーンと響くような、歓声ではなく驚愕と言った方がよい反応に包まれた。これは、今まで見たこともない日本人の姿、顔を初めて見、聞いたこともない異国の言葉を喋る私を、まるで異星人のように感じた反応だと、一瞬のうちに感じ、とまどった。その証拠に、こま切れに私の言葉を英語からチェコ語に通訳して、観客に伝える時は割と静かにしているのに、私が話している最中の彼らの反応が、日本語の語感が珍しいのか、口笛を吹いたり、妙な拍手をしたりしていることで感じられた。
 何だ俺達は異星人か。そういえば、この劇場に入るとき、何人かの小学生が、私と高木を見かけ、正面に回り込んで驚いたような顔でマジマジと見つめてたっけ。日本人顔の免疫がないので本当に珍しいのだろう。『未知との遭遇』で宇宙人が初めてスクリーンに姿を現した時に、我々が見せた顔にちがいない。5分程の挨拶は、通訳に時間がかかるせいもあり、あっという間に終り、花束をいただき控室に戻った。高木と顔を見合わせて「俺らは、やっぱり日本人だよな」と苦笑いした。

 もうクリスチーナはいなかった。誰か偉い人に挨拶せねばならないのでは、と話を向けるが皆さん忙しいので大丈夫ですよ…と言われてしまう。一服して、場内に入り観客の反応を確かめることにした。前の方の席を用意していてくれてたようだが、客が気を使って素直な反応が見れないのではないかと、ソッと一番後ろの席で見た。椅子が年代物でかなりガタが来ていた。
 英語の字幕入りプリントでの上映だが、チェコ語で1人の女性がセリフを同時通訳の様にマイクで伝えるという方式で、ベルリン映画祭でも同じやり方だったらしい(※DVDにその時の様子を収録)。日本語のセリフから少し遅れて、チェコ語がスピーカーから聞こえてくる。次のセリフが始まってもまだ前のセリフだ。すべてのセリフを1人がやるので、なかなかタイミングが難しい。
 
マルチニ(右)は「バッド・トランスレイト!」と嘆いた
それに、スピーカーの声が聞こえるように、映画の方のボリュームを下げながら喋る。
通訳の声が終わってもボリュームを元に戻さないので、映画の音が聞こえにくく、
音楽なんかも感じとりにくい。こりゃ〜大変だ。
 隣りに座ったマルチニが私に囁いた。「バッド・トランスレイト」チェコ語訳が良くないと言う。英語とチェコ語が分かる彼が、残念だというように首を横にふった。
 映画も中盤あたりにくると、場内がざわつき出した。しばらくするとレーザー・ポインターがスクリーン上の、水着姿の胸や股間に当てられ、笑いや拍手がおきた。面白くないのか、飽きたのか。困ったなと思っていると、なぎさとヒロシのキスシーンにヤンヤの大拍手、セリフなんか聞こえやしない。
 その後、ちょっとした盛り上がりのシーンが終わるたびに大拍手。これが我々には「ようやく終わった」という拍手に聞こえた。まあ全員が全員ではないだろう。でも、審査員も一緒に見てるとしたら、印象よくないだろうな。クラス単位で近隣の地から観に来てる中学生たちは映画を観るということよりも、映画祭のイベントに来ている感覚に違いないし、入場無料だし、しょうがないかとも思った。

 思えば私の高校1年の時、全校生徒(男子校)が市民ホールで、ある推理劇を鑑賞させられた。授業の一環だったが、3年生が前の方の席に着かされ、1年生は2階席だった。劇が始まって30分もすると「スカート脱げ!」だ「顔がブスだ!」とか、前方の席からヤジが飛び交い、ワザと緊張のシーンで拍手をし、最後までヤジはやまなかった。
 3年生を前に座らせるというのは、勝手に出てったり、ヤジを飛ばしたりしにくい場所にワザと座らせてると後で分かったが、てんで効き目はなかった。そんな昔のことを、この劇場で思い出させられ、苦笑した。関係者はガッカリきているんだぞ。
 エンドロールが流れると、ほぼ全員が一斉に立ち上がり、出口へ向かう。このドライな感覚はつらい。マルチニは「これは子供向けの映画ではないね。大人に見せたらすごくいい映画だ」と慰めか、本音か、言ってくれたが…慰めに聞こえてしまった。
 その後、先生連れの映画研究会グループの中学生に感想を話してもらった。「映像がきれい」「アンハッピー・エンドが良かった」と、いいことばかり言われ、「照明がよかった」とかなりプロ風なことも言ってきた。先生が、レーザー・ポインターや騒々しさを怒り、日本ではそんなことしないでしょ、と申し訳なさそうに話した。
 次は、「中学生テレビ」のインタビュー。「どうしてこの企画を考えたか」、「ズリーンの町の印象」などを質問され、カメラに収められた。この映像がまさか翌日、上映されるとは思わなかった。
 複雑な気持ちでランチ。明日は別の劇場で12時からの上映。舞台挨拶はしなくても良いと言われ、ホッとした。
 午後は、ズリーン城を見てチェコアニメに使われるパペットの博物館を見学。この城(というか、館)の中にも上映会場が作られていた。

ズリーンの町を見学
 その後、この町を世界に有名にした靴会社バチャの工場跡を見学。屋上からズリーンの町が四方に見渡せた。ゆるい谷あいに出来た町。ゆったりとして美しい町だ。郊外には日本、ドイツ、フランスの企業・店舗が続々と進出している。
 屋上から斜面に作られたベルケ・キノが見える。その斜面の直上にはホテル・モスクワが偉容を誇っている。ところで、この靴工場は変わった造りをしている。15階建てぐらいのデカイ建物なのだが、どでかいエレベーターがついていて、そのエレベーターの中がオフィスになっている――なんと社長室だったそうだ。
 中には、オフィス用品がそろっており、水道も通って簡単な生活ができるようになっている。エレベーターからは各階のフロアが見渡せるようになっている。
「監視がてらの社長室?」と訊いたら、そうではないと言うが、屋上でホテルとベルケ・キノを見て、勝手にそう考えた。
 工場は、1920年代からあるが、ホテルと劇場は1940年頃に作られたという。ナチスドイツがチェコのズデーテン地方を併合したのが1938年、チェコスロバキアは武力で言いなりの国にされ、1939年隣国のポーランドがチェコ経由で侵略され、東ヨーロッパはほぼドイツの支配下になった。
 その頃からこの工場は、ドイツ軍の軍靴を生産する工場にされ、1945年にアメリカ軍の軍需工場爆撃で一度破壊されたという。
 となると1945年頃までは、ホテル・モスクワは「ホテル・ベルリン」で、ベルケ・キノの「キノ」もドイツ語だからナチス讃歌を強制されて、キノでは大会とかやってたのかな…と思った。その後ソ連軍が“解放”し、「ベルリン」も「モスクワ」になり共産圏の一員とされ半世紀。動乱の20世紀の町なのだ、と感慨深いものを感じた。
 この町から北に200kmぐらいのポーランド側にアウシュビッツがある。もうあまり来れる可能性がないので、最終日に行ってみようかとも思ったが、ウィーン経由のチケットのため日程がとれず断念した。




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