第41回ズリーン国際映画祭

 ◆東欧見聞録◆ チェコふんじゃった【4】                                 by 半沢 浩
片道だけの招待なんてアリ?
  『NAGISA』の上映が始まった。チャバ監督だけの上映だ。始まったら出て、お茶でも飲んでいようと思ったが、スクリーンの上半分がボケている。字幕はくっきりなのに。スクリーンと映写機が正体しておらず、字幕にピントを合わせている。私は思わず「フォーカス!」と叫んでいた。だが直らない。チャバ監督が、「字幕はいいから中央にピントを合わせて」と通訳を呼んで映写室に走らせた。直った。
 私と高木はその後、終わる前に撮影所から出た。マルチニの立てたスケジュールにそって動いている。初めに「観光もしたい」と言ったので映画より、ズリーンの名所に案内するのが自分の役目だと思っているところがある。
 ズリーンの町の功労者・バチャ家の墓へ行った。うっそうとした森の中で、自然と共存している墓の作り方だ。
 何でお墓に? ――これも、マルチニの言う観光コースの一つなのだ。バチャ家は、この町の功労者なのだ。雨の降る中、ちょうどある葬式が行われていた。5、6人の吹奏楽員が、壮厳とは言えない楽曲を演奏する中で、50人程の人々が墓前で別れを惜しんでいた。曲は、死ぬ前に自分で決めておくのだそうだ。つい最近までは土葬だったが最近は灰にして、自分の墓所内にまくのだという。

 町に出てゆっくり買い物をし、遅い昼飯を食べた。食事しながら、マルチニは『NAGISA』の弱点を見つけたと言ってきた。「'60年代の設定なのにドライブのシーンで現在の車が映っていた」と。他にも色々時代が合わない物が映ってるのに車のデザインは世界共通か…。
 アメリカ映画のこと、クリスチーナの赤髪は本物かとか、とりとめのない話の中で、彼がアメリカに一年留学した時になぜ広島と長崎に原爆をアメリカが落としたのか勉強したと言い、私になぜだと思う? と訊いてきた。私は「テストだ」と答えた。原爆の威力を実地で見るためだ。そして、原爆がドイツ戦に間に合ってても、ドイツには落とさなかったのじゃないか、とも言った。
 マルチニは「テスト」と「戦争終結」の両方だと習った、と言った。ソ連が対日参戦したのも戦争終結には大きい、と私。「日本人にはロシア嫌いが多い」と言うと、通訳していた高木がそこまで言うことはないんじゃないかというので、「そのまま訳してくれ」と言ってもらった。反応が楽しみだった。すると「ロシアはアリューシャン(千島列島?北方4島のことか?)を取ったままだ」とロシア嫌いを如実に現してきた。ソ連の翼下にいたせいか、アメリカで勉強したせいか?
 そんな話で盛り上がっていると、チャバ監督が偶然にも食事をしていて、興奮気味に話しかけてきた。
        チャバ・ボロック監督の出品作
        North By North
「すばらしい映画だった。主役の子がいい。ぜひ、ブダペストで上映したい」彼は、今ゲストといっしょに食事中なので、今夜のパーティでゆっくり話したい、と言って忙しく自分の席に戻っていった。うれしくなり、これで商談が進むといいなと思った。食事後、レストランを出ようとすると、クリスチーナが居た。
 ちょうどゲストとの話が終わったようだったので、4人でお茶を飲んだ。マルチニが赤い髪はナチュラルカラーかとHANZAWAが言っている、というと2人で笑っていた。染めているという。ところで明日帰るが、航空券代の精算は、午前中に事務局へ行けばやってくれるのかと訊くと、そうしてくれという。「ところでいくらですか?」と言うので、ざっとドルに換算して言ったら、クリスチーナの顔色が変わってしまった。成田・ウィーン間は全日空で来たのだが、1人分で往復24万ぐらいだった。

 自分で予約しようと思ったが、満席の便が多く、トスカドメインの畠中さんにようやくとってもらった便だった。元々、映画祭の方で用意し、郵送してもらうはずだったが、日にちが迫り当方でとって現地で精算することになっていた。そのため、日本から旅行会社の請求書と、領収書替わりの振込用紙のコピーまで持参していたのだ。

 クリスチーナは言った。「片道だけ払うと約束していた」と。私は耳を疑った。半分だけ? そんなことは聞いてない。第一、招待しておいて片道だけなんてあんの? 抗議すると、「FAXやメールでエージェントにそのように連絡してある。エージェントが正確に伝えていない」と畠中さんのせいにしてきた。そんなことはないはずだ。だったら畠中さんは、私にそう言う。ただ、見落としがあるかも知れないので疑わしかったが、「分かった。確認して、明日もう一度話しましょう」とその場では話を止めた。クリスチーナはニコリともせず、立ち去った。
 なんか、おかしいな? 高木は、日本の航空会社の便は高い、安い便で考えてたのではないか、と言うが、話はちょっと意味が違っている。日本は今、真夜中なので明日TELで確認しよう…。


テレビ中継の中で授賞式はどんどん進んだ
 今日は映画祭のコンペの審査発表と表彰式が、7:30からベルケ・キノで行われる。
 昨日の上映の状況でガッカリきていたが、チャバ監督のような大人には受けがいいし、賞の可能性もあるのでは? と都合良く考えた。ホテルに戻って着替え、7時過ぎにベルケ・キノに向かう。会場前では生演奏でハデに雰囲気を盛り上げている。
 入場する前に、チケットの指定席のナンバーと、マルチニの席が離れているのを彼自身が気付き、事務局にチケットを変更しに行った。「もし、賞をとった時に舞台に呼ばれても、自分がいないと話せないだろう」と。やっぱ気の利くやつだ。
 子供と大人、半々ぐらいの客で満員の会場は、上映の時とはうってかわって、粛然としていた。会場の照明が落とされ、テレビカメラが何台も入り、カメラを乗せた大きなクレーンがテストを繰り返していた。チェコテレビが8時から9時まで表彰式を生中継するらしい。
 我々の席は会場のほぼ中央。各国の参加者と並んで座った。横がスロバキアの女優、後ろがイギリスのスタッフだ。テレビの視聴者優先の進行で8時前は、地味な部門の授賞式。8時になったら、チェコの有名な歌手たちの歌に乗っていよいよ、ChildrenYouth部門の発表!と思っていたが、言葉が解らず何の賞だかちっとも分からない。どんどん式は進み、もう8時半だ。何人もの監督が受賞していく。

 その時、妙なことに気付いた。受賞者はほとんど向かって右側の前の方の席から立って行く。我々の席はかなり離れた中央あたりだ。これは! 『NAGISA』は賞をとれない! 受賞予定者は、前方の指定された席に座っているのだ。我々の周りに座っているのはみな落選組か? この指定された席のチケットは、昨日の午前、事務局に行った折、早々と渡されていた。ということは、我々が到着した時点でかつ『NAGISA』の上映の前にもう、受賞は逃していたことにならないのか? だとしたら、とんだ茶番劇だ。
                           
 式はどんどん進み、どうも我々の作品がノミネートされてたYouth部門の受賞発表、拍手拍手。だが、いったいどの作品がとったのか、チェコ語なのでさっぱり分からない。受賞した監督がどうもフランス語で喜びを語っているようだ。マルチニにどの作品か?と訊いた。
            Ali Zaoua
Ali Zaoua』――フランス、モロッコ、ベルギーの3ヶ国共同製作の映画だ。嬉しそうだ。終わってしまった。でも、なんかわだかまっている。ちょっと待てよ、マルチニが開演前にチケットを変更してたな。もともと私と高木は、前方の席に指定されており、3人並んで座れるようにマルチニが3つの席が空いている場所に移動しただけか? マルチニにそのことを訊くと
「元々のチケットの場所は知らないが、クリスチーナは、3人の席はどこでもいいよと新しいチケットを渡した」らしい。なんだ、そうか。大体、受賞者へは、前日あたり、帰国せずに式に出席するよう前もって言っておくのが通例らしい。内示というよりも、もっと遠回しな言い方で。我々にはもちろんそれはなかった。受賞者は、テレビ中継もあり、時間の進行上、前の方の席でなければ出て行くまで時間がかかるのでそう設定しているのだ。とんだ勘違いだ。なんとも疑念を持ってたのが恥ずかしい。式は、有名歌手の歌で終わった。
 ちょっとガックリして、3人で近くのホテルでビールを飲んだ。マルチニは「賞をとるには動物を出さなければならない。特に犬をね」と言った。我々は笑った。受賞作『Ali Zaoua』は、ストリートチルドレンの話で、犬が重要なポイントになっている映画だったからだ(さわりしか見てないが)。
まったく気の利いた男だ。私を気遣っている。日本でも同じようなことを言ってた時期があったっけ。
 ちなみにChildren部門の受賞作は、『The Child And The Soldier』(イラン作品)だった。
      The Child And The Soldier

 気を取り直し、10時からのパーティに行こうとすると、レストランにちょっとハデな若い女たちが3人入ってきた。席につくと3人ともタバコを吸い始めた。私はヘビースモーカーである。1日3箱は吸う。酒を飲んだら5箱ぐらいいく。周りの友人たちは最近はみんなやめている。
しかし、害があるのは分かるが「ストレスにはこれが一番」と、命が縮まろうと何だろうと吸っている。日本の免税店で「キャスター3mg」を1カートン買ってきた。
 日程的には足りなくなるはずだったが、丸1日つぶれる飛行機は禁煙だし、白人系は嫌煙運動が激しいだろう、ホテルの部屋か外でしか喫えないだろうと思ってたのに、チェコは愛煙家には全くうれしいところだった。あちこちに灰皿が置いてあり、喫ってる人も多い。灰皿を見ると喫いたくなるというのがタバコ好きの常だが、それでも私は、日本にいるときよりも本数は減らしていた。もちろん、携帯灰皿は持っている。
 そんな中でも、女性はやっぱり喫煙する姿はあまり見かけない。わりと珍しいな、と思っていると「連中は売春婦だよ」とマルチニが言った。やっぱりどこへ行ってもいるんだなと、調子に乗って「もう一泊してこうかな」とマルチニに言った。冗談で笑ってくれるかなと思ったが、マルチニがムッとした表情になった。マジじゃないよ。値段も聞いてみたかったがやめた。

 その後、徒歩で15分ぐらいのパーティ会場に向かった。トーマス・バチャの別荘での、サヨナラパーティだ。
 町の中心部のバスセンターと鉄道の駅を抜け、少し寂しい丘の中腹にそれはあった。正装をしたガードマンのチェックを受けて庭に入ると、広い館に入りきれない程の人たちが、酒を飲み談笑している。ざっと300人はいるのじゃないか。中は宮廷風の作りになっていて、広間では弦楽の生演奏。こりゃ気分がいい。バーベキューを食べて酒を飲んだ。我々は招待のお礼をと思い、クリスチーナの元へ行って、話そうとしたが彼女は、一言二言でスーッと別場所へフェイドアウトしてしまった。なかなか彼女とじっくり喋る機会がない。航空券のことを話すつもりはないのに…。そのあと、女優さんとの話で忙しいチャバ監督と連絡先を交換し、12時すぎにホテルに戻った。

さあ大変! パスポート紛失か?
●6月2日
 朝、日本の畠中さんに電話で航空券代のことを確認すると、片道なんて一言も一行もないという。よ〜し分かった。ズリーンの町を出る迄に決着をつけないと。今日は、午前10時にウィーン迄送ってくれる車がくる。9時に事務局へ行き、クリスチーナと交渉。
 彼女は片道と言って突っぱってくるかと思っていたが、なんと悲しそうな声で片道と往復分のちょうど真ン中あたりの、数字を提示してきた。何だ、やっぱり片道というのはなかったのか。でも、簡単には引き下がれない。高木の通訳によると、チェコの代理店で調べたら、提示している額で日本を往復できるはずだと言ってきた。なおも抗議すると、これ以上は絶対無理だという。
 英語を話せるが故に直接彼女と交渉せざるを得ない高木が、「これ以上押すと、後腐れを残しそうだ。気持ちよく帰りませんか?」と言うので、私はワザと難しい顔をしたあと、パッと笑顔を作り「OK」と握手を求めた。彼女は硬い表情のまま、手を握り直してきた。
 まぁいいか。今朝の畠中さんのアドバイスで、「敵は、値切りの交渉は上手いので、押して下さい。日本人は言われるがままにお金を出してしまう、ということを彼らは知っている」と厳しく言われていた。この数字は、押したことになっているのかな? 言われるがままだったような気もするが。まんまとハマッちゃったか。
 でも、その後、その場でチェコ・コルナを受け取り、クリスチーナは初めて笑顔を見せたので、よかったよかった…と日本人的な納得をしてしまった私でした。いずれにしても下調べ、準備と全てが不足していたのが原因だった。

 10時、映画祭用の車で、ズリーンを離れる。帰り際、高木が資料の残りとパル変換したビデオ(この変換料がバカ高いが3本だけ持っていった)をクリスチーナとマルチニに託し、ウィーンに向かった。40〜50分走ると高木がパスポートと航空券を失くしたことが判り、ドライバーの携帯でマルチニに連絡してもらったが、気の利くマルチニは今日に限って出なかった。事務局にかけてもらい、資料と一緒にパスポートも入ってると思われる、手下げ袋を持ってるマルチニを捜してもらうことにした。
 同乗のミュンヘンの子供映画のプロデューサーは飛行機の時間が迫り、彼だけウィーンに向かい、我々2人はドライブインで待つことにした。我々は今日はウィーン泊で、明日昼の飛行機で帰国することにしていた。ただホテルも何も決めていなかった。
 高木は、もしなかったら「プラハの日本大使館に行って、単独で遅れて帰る、プラハで観光でもして帰りますよ」と割と堂々としている。だが、小一時間もすると、マルチニと友人のアリ(映画祭関係者=彼はインドから靴職人の息子として流れて来て、当地に住んでいる)が笑いながら迎えに来た。パスポートもチケットも持って来てくれた。
 でも、このままウィーンには行けない。行ける車が見つかり次第送るのでズリーンで待機してほしいと、我々をズリーンへ連れ帰ってもらった。ズリーンでは事務局が後片付けをしており、高木は罰として手伝った。ところで、帰る間際になってマルチニがある審査員の話を伝えてきた。「『NAGISA』はベルリンで大きな賞を獲っている。私も、最大級の評価をしている。しかし今回は、他の作品にチャンスを与えた」と。私は、ありがとうとマルチニに言った。

 そこへチャバ監督が来て、『NAGISA』の後半で、なぎさが箱に小石を入れるところは泣いてしまった…等々感想を熱く語った。
 チャバ監督と話をしていて思った。ハンガリーのハンとフィンランドのフィンは、10世紀以上も前、中国の北方の匈奴と呼ばれたフン族のことだといわれている。フン族はヨーロッパ各地を荒しまくり、一部が定着し、集合体を作り、混血して今の国になったのではないのだろうか。チャバ監督は、「ハンガリーは日本と同じく、姓が先で名が後で、他にも似ているところが多い」と言っていた。よくよく見ると、メガネをかけて背も小さく、悪いが日本のオタクと呼ばれるタイプにある顔だと思ったものだ。

ズリーン国際映画祭公式サイトへ

  ★★第41回ズリーン国際映画祭★★
   ●オフィシャルサイト



ズリーン国際映画祭シンボルマーク
 その後、午後2時に車が到着したので、今度は本当にズリーンと別れた。帰りの車のドライバーも彼女連れだった。これまた160kmぐらいで田舎道を飛ばす。彼は、朝イチでどこかの国の監督たちをプラハまで送り(4時間ぐらいかかりウィーンより遠い)、休む暇もなく我々をウィーンに送るのだという。昨夜も深夜まで車で送り迎えし、3時間しか寝てないという。悪いことをしたな、と思う。定期バスでいいですよと言ったが、頑として車での送り迎えをしている。
 このズリーンの町に来る映画関係者は何百人か分からないが、プラハやウィーンでの送迎の他に、各関係者にベッタリ1人のガイドを朝から晩まで張りつけ、全ての面倒を見ているということは大変なことだ。人員も費用も膨大にかかる。パンフや上映前の案内に必ず入っている地元の企業やマイクロソフトの宣伝・広告も当然といえば当然か。
 パーティでもそのスポンサー向けがどうしても中心になってしまうのだろう。「チェコは昔と随分変わって来ている」とマルチニは言っていた。1961年から今年で41回目のZlin映画祭に、こうして別れを告げた。

 ところでズリーンからのドライバーは、携帯で連絡を取り合い、ウィーンに午前中に向かった車と途中で落ち会い、乗り換えてウィーンに向かった。やれやれ大変だわい。オーストリア国境の税関でまたしても、Uターンを命じられた。来た時と同じで、30分ほど遠回りして別税関に向かった。英語の話せるドライバーに訊くと、日本はEUに入ってはいないので、ちゃんとしたところを通らねばならないという。
 ハテ、チェコはEUに入っていたっけ?(帰国後調べたら、元共産圏の各国は、EUに入るべく諸問題を解決中でチェコは数年後には入る予定)。ヨーロッパの人々は、かなり自由に往復できるが、ヨーロッパ圏以外の者は、一応ちゃんとしたところを通らねばならないということらしい。でもパスポートは見せるが、スタンプも押さず「酒、タバコを持ってるか」とか、形だけの質問で簡単に通関できた。
 その夜は、ウィーンに1泊し、翌日、日本に帰って来た我々です。

おしまいに
 トータルとしては、なかなか面白い映画祭だったが、私の準備・勉強不足がアトアトまで尾を引いた。私の目的の第一は、『NAGISA』を東欧圏に買ってもらうことだったが、積極的なビジネスを進めることが出来ず、ていねいな接待に流されて楽しんでしまったということか。
 今思えば、レストランの一角でも借り切りミニパーティを開き、少し強引に日本の映画状況を話す場を作り、『NAGISA』をついでに売り込むぐらいした方がよかったかな、と後悔している。しかし、そのためには、子供のための日本映画を、そして世界での状況を、ある程度把握しておかなければならない。全てそれらは私の頭の中に入ってませんでした。
『NAGISA』はというと、文中触れたように、現地でも大人の反応は悪くないが、子供の反応はいま少しという印象です。日本でもほぼ同じです。ただ私は、この映画を子供のために作った訳ではありませんでした。監督も言うように20代の女性中心に見てもらいたいと思っていた。でもフタを開けてみると、年齢層も高い程、評価も高いという結果になり、私の印象では、年齢を問わず性格の優しい方が好んでくれる映画に仕上がったと思っています。ベルリン映画祭では、キンダー部門でグランプリをいただきました。それ以降マスコミの書き方は「児童映画」です。この児童映画というのは、日本の場合、教育映画的な映画という印象を持たれ、エンタテインメントな要素の少ない印象を与え、商売的にはあるルート以外、展開が難しいジャンルとしてとらえられています。そのイメージを越える宣伝戦略を作らねばと思いつつ、しかし歴史的重しを、ついに振り払うパワーは、私にはありませんでした。いずれにしろ、子供もドラマチックさと刺激を求めています。子供に合わせるのではなく、作り手が考えてる中身を強引に見せていく作り方の方が有りだな、と思う私です。

 なお、チェコや東欧についての情報不足や言葉の壁もあり、ズリーン及び国際映画祭などに関する記述は正確さを欠いているかも知れません。何かお気づきの
 点がございましたら、ご感想と共に指摘いただければ幸いです。 フィルム・シティ



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